「麻布の没落と復活」について語ってくれたところすまないが、どうにも突っ込みどころ満載に感じるので、少し意見を述べさせてもらおう。
まず、自由系学校が人気を失っているから麻布の受験者が減ったという話だが、「自由系」として麻布が一括りにされているあたりが面白い。麻布の「自由」は、単なる自主性尊重を超えたものだ。栄光や聖光の「自由」とは意味合いが異なり、まるでサブカルのような「麻布独自の混沌」を楽しむ空間だ。もしかしたら、本質的な自由を求めている人にはむしろ一貫して支持されているのでは?「自由系が下火」という一般論で語るのは乱暴に過ぎないだろうか。
そして、「渋渋に流れている層」についても、それは単に共学志向の家庭が増えたからという一般論だが、もっと深い背景がある気がする。渋渋は麻布の代わりではなく「別物」だ。麻布を受ける生徒の志向とは異なる層が自然とそちらを選ぶようになっているだけで、麻布を見限っているとは言い過ぎでは?むしろ麻布に入りたいが、渋渋のような「安全志向」の親が増えただけで、本来の「麻布らしさ」を受け入れる家庭は引き続き麻布を選んでいると思う。
次に「地方の遠征組が減った」から麻布が不利に…という話も、どうだろうか。遠征してまで開成や麻布を選ぶ家庭がどれだけいるかは微妙だ。むしろ、真のトップ層は灘などを目指し、「首都圏志向」はどこかで限界がある。加えて、灘組が地方から東京に流れる理由は、学習塾のカリキュラムが灘志向に特化していることも一因だ。麻布や開成が直接どうこうではなく、受験対策のトレンドが地方の生徒を東京に呼び寄せにくくなっている面も見逃せないだろう。
そして、麻布の「女子校交流案」については、これが受験生の関心を引くかは疑問だ。たしかにエロガキ受験生には刺激的かもしれないが、彼らが麻布の求める生徒像に合致するかは別問題だ。そもそも「共学」を求める層が「自由系の名門」に流れること自体が疑問だし、交流するくらいで麻布の根本的な魅力が増すとも思えない。
最後に、「麻布の未来」についてだが、麻布のブランドは一部の人気凋落を理由に簡単には揺るがないだろう。麻布は短期的な「人気」よりも、特異なカルチャーを愛する少数派に支持されてきた学校だ。ブランドとは、時代の流行や受験者数の増減では揺らがないものだ。